被災地 気仙沼にて

2011 年 7 月 6 日 水曜日 投稿者:mituoka

 7月1日(金)夜の10時、私を含む3名の司法書士チームは静岡を車で出発

 2日(土)の朝5時半に東北自動車道・一関インター(岩手県)を降り、一般道で目的地・宮城県気仙沼市に向かう

 朝8時、南三陸町に近い避難所に到着

 そこを皮切りに巡回相談活動開始

 その後も、事前に予定されていた相談会場をいくつか回りつつ、移動時間の合い間にいわゆる「飛び込み」で、各避難所や仮設住宅を巡回

 宿泊先(岩手県一関市)に辿りついたのは夜10時近くだった

 3日(日)も朝8時から正午まで前日と同様の日程を消化

 総じて被災者のかたがたは私たちを歓迎してくれた

 (震災直後に静岡県青年司法書士協議会を中心とした若手メンバーが手弁当で気仙沼に乗り込み、地道な巡回相談活動をしてくれたおかげで、当地における「静岡県の司法書士」の認知度は予想以上に高いようだ

 お礼を言われる度に、こちらもお礼を申し上げたくなる

 各地で寄せられた相談は、権利証が津波で流されてしまったがどうしたらいいか?とか、労働問題・借金問題など・・多岐に及んだ

 耳慣れぬ東北弁

 聞き取りに苦労することもあったが、静岡弁も東北弁も同じ日本語

 何回か聞き直せば、なんとか理解できる(笑)

 意外に思われるかもしれないが、現地の惨状を目の当たりにしても、さして大きなショックを受けなかった

 現地での仕事が山積みだったので感慨に浸る余裕がなかったし、震災直後に壊滅的な映像をテレビで何度も見ていたので、ある意味、免疫ができていたからだろう

 しかし、日曜の夜、ビルが密集し、人々が速足で闊歩する東京の光景にショックを受けた

 あたり一面、ほとんど更地と化したあの気仙沼の光景が、如何に異常なものだったかをようやく痛感したのだ

 (気仙沼からの帰り道、私は一人だけ東京駅近辺で車を下りた。翌日、東京で裁判が1件予定されていたので、その夜は東京に宿泊した)

 ある避難所で、そこのリーダーを務める60歳前後の男性と話をする機会があった

 私は、彼の携帯の壁紙が、三毛猫の写真であることに気づいた

 日向ぼっこの最中に撮ったものなのだろう、三毛猫はとても気持ちよさそうに、微笑むように目を閉じている

 おそるおそるリーダーに尋ねてみると、案の定、その猫は津波にさらわれ行方不明だと言う

 愛嬌のある可愛らしい丸顔は、もう携帯画面の中でしか見ることはできないだろう

 「津波が憎いです」

 リーダーの表情が、突然険しくなった

 2日間の活動で、一番印象に残る出来事だった

 上の写真は、避難所になっている清凉院というお寺 (ここでも相談会を実施)

 空気が清み、風が心地よい

 建物の損壊はほとんど見受けられない

 津波が押し寄せた地域と、そうでない地域の風景はまったく別物

 ハードな日程だった

 しかし、とてもやりがいのある事業だった

 誤解を恐れずに言えば、平成14年に司法書士登録をして以来、最も充実した時間を過ごしたような気がする

 私たちを頼りにしてくれる人たちが待っている

 また近いうちに、必ず気仙沼に戻ってこようと決意した

 日本司法書士連合会主催の東日本大震災相談事業

 わが静岡県司法書士会は、被災地のうち宮城県会支援を担当

 宮城県司法書士総合相談センター(石巻、大崎、仙南の3会場)と気仙沼市巡回法律相談会へ、相談員を派遣している

コメント / トラックバック 2 件

  1. 岩手県出身者 より:

    あげあしを取るようで申し訳ありません。
    気仙沼方面ということでしたら、多分、“一関インター(岩手県)”と思われます。

  2. mitsuoka より:

    岩手県出身者 様

     すみません・・・。

     たしかに、おっしゃるとおりです。

     訂正しました。

     ご指摘いただき、ありがとうございました。

                        三 岡

コメントをどうぞ

*