スーパークリークが死亡した

2010 年 8 月 30 日 月曜日 投稿者:mituoka

 スーパークリークが死亡したとニュースを耳にした。

 昭和63年の菊花賞、平成元年の天皇賞(秋)、そして平成2年の天皇賞(春)を制覇。なんといっても、オグリキャップの好敵手として、そして武豊に最初のGⅠをプレゼントした馬として有名だった。

 クリークの毛色は、サラブレッドの典型的な色である「鹿毛」。
 父ノーアテンション、母の父インターメゾという生粋の長距離血統。
 好位置につけ直線抜け出す、安定した、ソツのないレースぶり。

 何もかもがオグリキャップとは対照的だった。まるで、星飛雄馬と花形満。

 彼らが競馬場で火花を散らしていた平成元年の秋、私は自宅(高円寺のワンルームマンション)で、オグリとクリークの血統表を見比べていた。すると、両者の数代前の祖先に native dancer  という共通の馬を見つけた。この似ても似つかないライバル2頭の体内に、共通の血が流れていることを知り非常に驚いた。サラブレッドの血統についてマニアックな興味を持ったのは、彼らの存在があったればこそ。

 ちなみに、native dancerは1950年代のアメリカの名馬で「灰色の亡霊」の異名を持つ。彼はオグリの父であるダンシングキャップの父(つまりオグリの祖父)。スーパークリークに関しては、話が長くなる。クリークの父ノーアテンションの父はグリーンダンサー。その父はニジンスキー。そのまた父はノーザンダンサー。そしてノーザンダンサーの母の父がnative dancerである(ようやく辿りつきました・・・)。

 スーパークリークのベストレースは、平成2年・春の天皇賞だと思う。オグリは不在、戦前からイナリワンとの一騎討ちムード。堅実なクリークに対し、ポカも多いイナリワンだけに、下手をするとクリークのワンサイドゲームになってしまう恐れも若干あったが、レースは期待通りのマッチレースに。最後のコーナーを回ると、後方に待機していたイナリワンがクリークめがけて進撃開始。半馬身まで迫ったところで、クリークはそれを待っていたかのように動き出し、2頭はその着差を保ったまま最後の2ハロンを、馬体を接するように駆け抜けゴールに入った。

 私はそのレースを、生で見ていない。あれはたしか、東京経済大学との練習試合の帰り道、先輩の車の中だった(私は野球部に属していた)。競馬にほとんど興味のない先輩に無理を言って、競馬中継にチャンネルを合わせてもらった。どうしても、2頭の対決を聴きたかった。アナウンサーの興奮から、すごいレースだったことが容易にわかった。「へぇ~、強い馬たちってのは、やっぱり強いんだな」先輩はとても感心していた。

 牧場関係者の話によると、クリークは、オグリキャップが死亡した直後から体調を崩したらしい。盟友オグリの訃報を聞き力を落としたのか、あるいは、オグリがクリークを呼んだのか。

 これで、「平成の3強」のうち、生存しているのはイナリワンだけとなった。イナリワンには2頭の分も長生きしてもらいたい。

 ちなみに、イナリワンに「native dancer」の血は流れていない。 

 今年の夏は、特別な暑さだったから、老齢馬には応えたのだろう。
 名馬スーパークリークの冥福を祈ります。

 「大河 Super Creek」 を無事に渡り、きっと天国に辿りついたことでしょう。

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