カルガリーの興奮

2011 年 3 月 2 日 水曜日 投稿者:mituoka

 昨夜11時頃、テレビのニュースで与那嶺要さんが亡くなったことを知りました

 巨人の名選手で、その後、中日ドラゴンズの監督を務めた人

 私は与那嶺氏の現役時代はまったく知りませんし(私が生れる前の話ですから)、彼が中日の監督をしていた時代の記憶がうっすら残っている程度です

 そんな私でさえ、彼がハワイからやって来たこと、そのため英語が得意なこと、アメリカ仕込みのベースランニングの素晴らしさ、ウォーリーという愛称で呼ばれていたこと等々・・数多くの逸話を見聞きしたことがある名選手・名監督でした

 もうひとつスポーツの話をします

 昨夜のテレビといえば、TBSで伊藤みどりさんの特集みたいな番組をやっていました

 アルベールビル五輪の「銀メダル」はたしかに特筆ものですが、私はその4年前、カルガリー五輪の感動が今でも忘れられません

 カルガリー五輪の模様が、昨夜の番組内ではほんの少ししか紹介されなかったことが残念・・・

 カルガリー五輪の行われた1988年(日本では昭和63年)当時、フィギュアスケートにはフリー演技の前日に、たしか「規定」というものがありました

 それを苦手にしていた伊藤選手は大きく出遅れましたが、フリーでは伊藤選手の魅力全開、素人目にも他選手とは明らかに次元の違うものとわかる、素晴らしいジャンプを次々に成功させていきました

 演技の途中から観客は総立ちの大興奮

 最後のスピン回転のとき、それは最高潮に達し、衛星中継の実況アナウンサーの声が聞き取れないほど大きな歓声に包まれました

 今でこそフィギュア王国となった日本ですが、当時は日本人が五輪で注目を浴びるなんて考えられず、私も伊藤みどりさんに期待などしていませんでした

 しかし、同世代で、どう見ても普通の女の子にしか見えない彼女が起こしたセンセーションに感動し、テレビ中継を見ながら不覚にも涙を流しました

 スタイル抜群の美女 カタリナ・ビット(東ドイツ)に代表されるクラシックバレエを思わせる「静」の芸術性が高得点を稼ぎやすかった時代

 そんな採点基準でしたから、伊藤みどり選手は総合で5位に終わりました・・・

 伊藤選手の得点が発表されたとき、会場から大きなブーイングが起きたことを記憶しています
 
 でも、翌日行われたエキシビション

 伊藤みどり選手はリンクに立ちました

 予定では、エキシビションに招集されるのはメダリストだけのはずでしたが、真のメダリストが誰なのかを大会関係者も知っていたのです

 伊藤選手はフィギュアを芸術から「スポーツ」に変えた、と否定的な意見を聞くこともありますが、あれだけの興奮と感動を与える彼女の演技を「芸術」と言わずして何と言えばいいのでしょう

 かつて、岡野俊一郎日本サッカー協会名誉会長がテレビのインタビューで「スポーツは芸術であるべき」と語っていましたが、伊藤さんはまさにそれを具現化したのです

 あれから23年も過ぎ、今ではトリプルアクセルを跳ぶ女子選手も何人かいるようですが、伊藤みどりさんほどキレのある、滞空時間の長い、そして何より「爽快」なジャンプを見ることは難しい

 論より証拠、みなさん、ぜひ youtube あたりで、伊藤さんのジャンプをチェックしてください

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