昭和最後の日米野球
2012 年 3 月 28 日 水曜日 投稿者:mituokaあれは昭和63年11月10日だった(と思う)
当時、私は大学生
野球部の先輩 Tさんが
「メジャーリーグのオールスターチームに会いに行こうぜ!」
と私を誘った
彼らが宿泊しているホテル・ニューオータニは、母校・上智大学のすぐ隣である
「サインをもらうためのボールが必要だ」
Tさんと私は野球部の部室から未使用のボールを2つ、くすねた
(時効が成立しています)
ホテルに歩いて向かう途中、私は不安だった
もちろん、アポなど取っていない(取れるわけない)
それに、メジャーリーガーたちは今日、
西武球場のデイゲームで日本チームと戦ったばかり
みんな、部屋でグッスリと休んでいるかもしれないし、
ただでさえ、だだっ広いニューオータニ
うまい具合に彼らに会えることなど不可能・・・
ホテルの正面玄関から入り、ロビーを抜け、
長い廊下を数百メートル歩いたところでエレベーターに突き当たった
「先輩、やっぱり誰もいないようですね。帰りますか?」
ちょうどそのとき、
エレベーターの戸が開き、肩で風を切りながら大男が出現した
彼の名はマーク・デイヴィス!
マーク・デイヴィス(サンディエゴ・パドレス)
メジャーリーグ投手たちの中で当時の最高年棒を稼いでいた左腕
この翌年(89年)、投手として最高の栄誉「サイヤング賞」を獲得する
何という偶然だろう・・・このチャンスを逃すものか!
Tさんと私は必死に話しかけた
マーク・デイヴィスは、いかつい外見とは裏腹に、とても気さくな男だった
「ぜひ、一緒に夕飯を!」
というT先輩の誘いにはさすがに乗ってこなかったが(苦笑)
彼はこころよくサインに応じてくれた 【写真下】
マーク・デイヴィスは親切にも、
同じ投手の私に(同じ投手、と言ってもレベルはかなり落ちるが・・・)、
当時大流行していたSFF(スプリット・フィンガード・ファーストボール)
の投げ方を教えてくれた
「人差し指と中指を縫い目の外側に合わせて握る、それだけだ」
「ストレートを投げるときと同じように、思い切って腕を振るのさ」
「球審の頭を狙う感じで。そうすれば、バッターの手元できれいに落ちる」
彼は真剣に、コーチしてくれた
その日行われたデイゲーム、日本チームの印象を尋ねると
「渡辺久信の快速球は素晴らしい!メジャーでも通用する」
10分前後話し込んだ後、彼は
「ほかのメジャーリーガーたちにも会いたいだろ?付いておいで」と言った
そこから歩いてすぐの、同じホテル内にある大きな喫茶店
マーク・デイヴィスに引き連れられた憧れのスター選手たちが、
代わる代わる私たちの前に現れ、そしてサインしてくれた
ダニー・ジャクソン(シンシナティ・レッズ)
この年23勝をあげ、ドジャースのオーレル・ハーシュハイザーと共に
ナショナルリーグ最多勝のタイトルを獲得した左腕
ハロルド・レイノルズ(シアトル・マリナーズ)
前年(1987年)のアメリカンリーグ盗塁王
91年にはクレメンテ賞を獲得する
ラファエル・パルメイロ(シカゴ・カブス)
生涯成績は通算569本塁打・3020安打 キューバ出身の大打者
晩年はステロイド使用疑惑に苦しむも、
「500本塁打・3000本安打」を達成した選手はメジャー史上、
彼を含めてたった4人しか存在しない(他にハンク・アーロン等)
バンス・ロー(シカゴ・カブス)
派手さはないが堅実な内野手として活躍
彼が2年後(90年)、中日ドラゴンズでプレーすることになるとは・・
この翌年、T先輩は世界的な大手メーカーに就職
現在は得意の英語と持って生まれた積極性を活かし、
海外支社でバリバリ働いている
私はその後も大学に残り、
マーク・デイヴィスから教わったとおりにSFFの練習を続けたが、
彼のような魔球を投げることは遂に叶わなかった・・・(泣)
あの夢のような一日
マーク・デイヴィスと交わした一言一言は、
とても24年も前の出来事とは思えぬほど心の内に鮮明に残る
ハーシュハイザーにマダックス、カービン・パケットやボビー・ボニーヤ、
ガララーガ そしてマグリフらにも会いたかったけど、
あれ以上の贅沢を言ったらバチが当たるだろう
5人のメジャーリーガーたちと T先輩に 大感謝している
2012 年 3 月 29 日 12:24 PM
いやーこれはほんと凄いですね。
大変価値のあるものですが、ボールに
「SOPHIA」て入ってるのがまたいいですね。
イチローはどこ泊まってんのかな。
2012 年 3 月 29 日 3:24 PM
ichi くん
ありがとうございます。
本件に関し、きっと、ichiくんだけは反応してくれるだろうと思っておりました。
イチローの4安打、素晴らしかったですね。
ichi と イチローは、共に期待を裏切らないな。