「社会的制裁」を理由に情状酌量はおかしい

2009 年 10 月 27 日 火曜日 投稿者:mituoka

 酒井法子被告の裁判が多くの人の関心を集めている。昨日の初公判、傍聴席に座れる倍率は330倍だったとか・・・。

 ニュースなどでよく聞かれる「すでに社会的制裁を受けているので情状酌量の余地がある」というフレーズ。芸能人の裁判に決まって出てくるこの「社会的制裁」という言葉について考えてみた。

 「社会的制裁」とはマスコミによるバッシング・所属事務所からの解雇通告などをいう。しかし、そんなものは予見可能な「制裁」だ。いわば「有名税」の一部であるし、マスコミによる報道は「表現の自由・知る権利」を保障する民主主義国家の当然の要請に過ぎない。それに、その類の「制裁」ならば一般人でも受ける。周囲から白い目で見られたりするし、会社を解雇されたり辞職せざるを得ない例も多いだろう。

 そもそも、裁判所の存在意義は、「司法的」制裁を下すため、なのだ。「社会的制裁」などを考慮する必要などない。

 百歩譲って社会的制裁を考慮するにしても、それは「常識を遥かに超えた過酷なもの」であるべきで、多くの芸能人はそのような制裁など受けていないと感じます。

 映画スパイダーマンの中で「大いなる力には大いなる責任が伴う」というセリフがあった。有名人のみなさんには、社会に与える影響力の大きさを自覚して行動してもらいたいと思います。

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