ご存じない方も多いと思いますが、その昔、不動産登記は裁判所が担当していました(現在は法務局です)。明治時代に制定された法律によって「登記事務は治安裁判所に於いて之を取扱うものとす」とされて、裁判所の事務であることが明確に定められました。登記手続が裁判手続き、あるいはそれに準ずるものとして扱われたことを意味しています。
ご承知のとおり裁判は紛争の事後処理を目的とするものです。権利保全のための(紛争を未然に防ぐための)登記手続がなぜそれに準ずる立場を与えられたか。それはこの日本と言う国の過去から現在までの裁判の記録が物語っています。国民の土地に対する考え方が根底にあります。
古くから現代まで土地は恒産と呼ばれ、一般の資産よりはるかに大切なものと考えられています。生きていくための礎でもあり、資産価値も莫大なものであるから当然です。土地に関する紛争が絶えず、しかも金や銀の如く手元で管理保管することが出来ない。誰の所有であるのか、担保関係はどうなっているのか・・・、土地そのものを眺めただけで一向にわかりません。何らかの公示方法が必要であり、それは厳格であることが望ましい。そこで登記という予防的措置を裁判手続きの中に組み入れようと試みられたのでしょう。
現在において大学の講義などでは、「民法において登記は対抗力を付与するものであるが、公信力はない」と解説されます。「公信力はない」とは「ある権利(例えば所有権)が登記されているからといって、登記簿はその権利が正しいものであることを保証をするものではない」ということです。確かに不実の登記がなされる危険は(常に)あるからそれは当然といえるでしょう。しかし正しくないからといって他の者がこれを簡単に抹消できるか?出来ない。権利者が承諾すればいざ知らずNOと言えば裁判を起こして判決を得て抹消するしかない。厳重な手続きが必要になっているわけで、まさに判決手続きに類似したものだ、だからこそ裁判所をもって担当機関としたのだ、と納得がいきます。裏を返せば、登記されている権利は裁判所が保証しているようなものだと考えられます。最高裁においても実質的に登記の公信力を認めた判決がいくつも出ています。
登記には「公信力がない」のが建前だけど、実際は「公信力がある」と同然に尊ばれているのです。所有権や抵当権、賃借権などの権利は登記をしなければならない、という規定はありませんが、登記を得ることによって大きな保護を得ることができるのです。
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