‘オグリキャップ・ミンナノアイドル他’ カテゴリーのアーカイブ

エイシンキャメロン

2012 年 10 月 25 日 木曜日 投稿者:mituoka

エイシンキャメロン

ホロシリ乗馬クラブにて撮影させてもらいました。

 

平成10年9月のデビュー戦は武豊を背に、断然の1番人気応え、9馬身の圧勝!

その後も連勝を続け、

暮れの朝日杯3歳ステークス(G1)はアドマイヤコジーンと人気を二分しました。

レースでもコジーンと大接戦を演じ、惜しいクビ差の2着。

 

翌年も活躍を続け、迎えたニュージーランド・トロフィー4歳ステークス(G2)。

NHKマイル・カップ(G1)の前哨戦として重要なレースですが、

やはり断然の1番人気に推されました。

しかし、このレースは、悪い意味で、

キャメロンの競走生活における分岐点となってしまいます。

レース前、本馬場入場後、キャメロンがキャンターに移った際の解説で、

今は亡き大川慶次郎さんはこう言い放ちました。

「この馬は、ルドルフやオグリキャップのようにずっと勝ち続ける馬ではない。いつの日かを境に、ガクッと負けるはず。それが今日ではないと誰が言えよう。私はこの馬を無印にします」

 

それまでのキャメロンの抜群の安定感からして、

私には、まったくトンチンカンな発言に聞こえましたが、

大川氏の予言は的中、キャメロンはなんと7着に沈みました。

 

そして迎えた本番・NHKマイルカップ(G1)。

前走の大敗にも関わらず、ファンはやはりキャメロンを1番人気に支持します。

しかし、ここでも10着と大敗。

以降、武豊がキャメロンに騎乗することはなくなりました。

その後13戦するも、勝ち星をあげることはできず、平成14年に現役を引退。

 

「競馬の神様」と呼ばれた大川慶次郎さんを思い浮かべるとき、

私は同時にキャメロンをも思い出します。

 

私にとってはちょっと哀しいイメージがつきまとうキャメロンですが、

今は優しいスタッフさんたちに囲まれ、幸せな日々を過ごしているようです。

ご覧ください、この穏やかで優しい瞳を。

 

「早熟の天才」に、円熟の老後を!

キャメロンくん、元気でね。

 

オグリキャップ

2012 年 10 月 18 日 木曜日 投稿者:mituoka

いよいよ真打ち登場。

なんてったって オグリキャップ!である。

優駿メモリアルパークにそびえるオグリ像は、

この日もキラキラと輝いている☆☆

ファンが6人ほど来ていた。

カップル3組。

年齢層はだいたい30代~40代といった感じ。

オグリキャップ世代の人たちだ。

相変わらず、御供えのお花は絶えることがない。

オグリは本当に幸せな馬だ。

オグリ像を右にすり抜け、歩を奥に進めると「優駿記念館」がある。

そこには、オグリにまつわる貴重品が、たくさん展示されている。

写真撮影OKということなので、遠慮なくシャッターを押した。

オグリキャップの縫いぐるみ。

大中小が揃っている。

89年~90年頃の競馬場は、これを手にした子供や女性で溢れていた。

数々の優勝レイ(写真上)

重賞12勝の遺産だ。

言わずと知れた「ゼッケン8番」。

引退レースでオグリが身に着けていたもの。

(触りたい・・・。)

 

感謝状

オグリキャップ号

あなたは常に闘志あふれる競馬により多くの人々に勇気と感動を与え昭和から平成への激動期に競馬ブームの立役者として中央競馬の発展に大きく寄与されました。
その貢献度は中央競馬での二十戦十二勝という戦績だけでは計りえない大変偉大なものがあります。
よってここに感謝状を贈り敬意を表すとともに永遠にその功績を讃えます。

                            平成二十二年七月二十九日

                                   日本中央競馬会

「尊敬する人物は?」

と問われれば、僕は何のためらいもなく、

彼の名を挙げるだろう。

今でもあなたが大好き!

2008年、オグリキャップが東京競馬場に里帰りした際に、

パドックに貼られていた横断幕の言葉です。

僕たちオグリ・ファン、いや競馬ファン全員の気持ちを端的に表しています。

 

 

ライブリマウント

2012 年 10 月 17 日 水曜日 投稿者:mituoka

 

にいかっぷホロシリ乗馬クラブ。

ダイワテキサス、アブクマポーロなどが乗用馬として在籍している。

 

 

私がいつも指名するのはライブリマウント

彼は第1回ドバイ・ワールドカップに日本代表として出場したライブリマウント。

かたや私も、新婚旅行で「ドバイ」に行きました。

 

ドバイつながり(笑)というわけで、彼と私とは話が、いや、ウマが合うのです。

 

 

綺麗な栗毛、二重(ふたえ)まぶた、つぶらな瞳・・・。

ハンサム度では「超絶」の部類に属します。

 

 

だから、当然、女性陣に大人気!

この日もモテモテでした。

彼のイケ面ぶりは映画界の目にも止まり、

全国公開の映画 「のぼうの城」 にも出演しています。

 

 

でも・・・スタッフのかたの話によれば、意外にも、

アブクマポーロに対してはとても威張っていて、

噛みついたりするらしい。

 

 

ポーロはいつもライブリに恐れをなしているとのこと。

ちょっとポーロが可哀そうですが、

ライブリマウントにしてみたら、

引退レースとなった1997年の帝王賞でポーロに惨敗した腹いせに、

「それでも初代ダート王は俺だ!」 と主張しているのかもしれません。

 

 

適度な運動をしているせいか、とても若々しいライブリマウント。

禁煙太りのため昨年より9キロ太った私を乗せても、元気いっぱいでした。

次回までにはダイエットしておくから、また今度も乗せてね(^^)

 

アドマイヤマックス

2012 年 10 月 17 日 水曜日 投稿者:mituoka

1999年生まれの13歳。

同期にはタニノギムレット、シンボリクリスエスらがいる。

2005年、武豊を背に高松宮記念(G1)を制覇。

種牡馬入りしてからは、アドマイヤコスモスという大物を出すが、

コスモスは残念ながらこの世を去ってしまった。

現在、マックスが暮らすのはビッグレッドファーム。

ステイゴールドの隣の馬房にいるからかもしれないが(笑)、

マックスはとても大人しく、お行儀の良い印象だった。

マックスの姉には、桜花賞3着のホーネットピアス、

そしてマストビーラウド(ラインクラフトの母)がいる。

この良血を残すために、コスモスに代わる後継馬の出現が待たれる。

道営の星 コスモバルク

2012 年 10 月 16 日 火曜日 投稿者:mituoka

地方競馬(北海道競馬)に所属しながらも、

中央競馬や海外で活躍したコスモバルク

主な勝ち鞍に弥生賞(G2)、セントライト記念(G2)、

シンガポール航空インターナショナルカップ(国際G1)など

父ザグレブ、

母の父トウショウボーイという地味な血統ゆえに、

種牡馬にはなれなかったが、功労馬としてビッグレッドファームにいる

有馬記念には6年連続で出場(2004~2009年)

これは前人未到(前馬未到というべきか?)の大記録

2010年に引退し、ビッグレッドファームに隠居

しかし翌2011年、アイルランドで現役続行するプランが持ち上がり、

実際に調教が再開されるも、結局、屈腱炎を発症し、現役復帰成らず、

再びビッグレッドファームに戻ってきた、という珍しいエピソードを持つ

現在11歳

まだまだ長い余生をのんびり楽しんでもらいたいところだが、

当のコスモバルクは、

いつまた調教が開始されるのか・・・、

ハラハラ落ち着かない毎日を過ごしていることだろう(笑)

タニノギムレット

2012 年 10 月 16 日 火曜日 投稿者:mituoka

北海道早来の社台スタリオンステーションにて撮影。

鼻づらに走る白い流星が、彼のトレードマーク。

タニノギムレットの種牡馬生活は、早いもので10年目に入った。

平成14年のダービーを豪快に差し切り勝ち。

武豊とカントリー牧場に、

史上最多となる「ダービー3勝目」をそれぞれプレゼントした。

ギムレットの競走馬としてのキャリアはここまで。

若くして種牡馬に転じ、初年度産駒からウオッカを出した。

ご存じのとおり、ウオッカは親子2代のダービー制覇を達成。

そして今月末には、

アイルランドで産まれたウオッカの第一子が、いよいよ来日。

日本競馬史上初の親子3代ダービー制覇なるか?

ドラマは脈々と受け継がれる。

これだから競馬はやめられない。

シンボリクリスエス

2012 年 10 月 15 日 月曜日 投稿者:mituoka

シンボリクリスエスがデビューした頃、

わたしたち多くのオールドファンは、

かつて存在したシンボリクリエンスという馬と混同した。

両馬は、オーナーと毛色は同じだが、

血統も、所属きゅう舎も、競争成績も、まるで異なる。

クリエンスは中山大障害を連覇してスーパーホースとなったが、

このクリスエスは、秋の天皇賞・有馬記念をともに連覇し名を馳せた。

今では両馬を混同する人はいないだろう。

特に引退レースとなった有馬記念の圧勝劇は、

あのシンボリルドルフの有馬記念よりも更にインパクトがあった。

ダービーで、ゴール寸前にクリスエスを差し切った宿敵タニノギムレットが、

隣の柵内で放牧されていた。

なんとも贅沢な光景だ。

生きる芸術作品 ダイワメジャー

2012 年 10 月 11 日 木曜日 投稿者:mituoka

ダイワメジャー

皐月賞、天皇賞、マイルチャンピオンシップ(連覇)を勝った。

父はあのサンデーサイレンス、母がスカーレットブーケ、

妹にダイワスカーレットがいる。

この一族は現在、競馬サークルにおいて、「華麗なる一族」と呼ばれている。

そうした競走成績・血統背景はもちろんだが、見た目の美しさという点からも、

名馬中の名馬である。

まぶしいほどに輝く栗毛と、ギリシア彫刻のように起伏に富む筋肉を身にまとい、

凛々しくハンサムな顔を持っている・・・

非の打ちどころがない。

私も彼と同じ「男」として、まったくイヤになっちまう。

種牡馬となったダイワメジャーは今年、

カレンブラックヒルというビッグネームを輩出した。

ブラックヒルの連勝がいつまで続くのか、興味津津だが、

種牡馬としても成功を収めるなんて、まったく、こいつめ。

午後1時。

放牧時間終了のときが近づき、牧場の係員さんがメジャーを連れ戻しに来た。

早く厩舎に帰りたかったのだろうか、メジャーは自らそちらに歩いて行く。

おい、行っちゃうのか?

もう少しいてくれよ・・・

さびしかった。

嫉妬を通り越し、いつのまにか「憧憬」の眼差しで、メジャーを見ていた。

イブンベイ

2012 年 10 月 11 日 木曜日 投稿者:mituoka

昨日のバンブーメモリーの項で、

平成元年のジャパンカップが殺人的な超ハイペースだったことを書いた。

同レースは距離2400Mなのだが、

あのときの1800Mにおける途中通過タイムが、

サクラユタカオーの持つ1800Mのレコードタイムを上回っていた事実からも、

凄まじさがおわかりいただけると思う。

あのレースで先頭に立ち、

そのハイペースで引っ張り続けたのがイブンベイである。

1984年、イギリスで生まれたイブンベイは現在28歳。

オグリキャップより1歳年上だ。

1987年度イタリア最優秀3歳牡馬、

1989年・1990年度ドイツ最優秀古牡馬の栄誉に輝いた。

種牡馬としてはタイキヘラクレス、マイネルガーベ等を輩出。

現在は功労馬として、北海道のビッグレッドファームで余生を過ごしている。

陽の光に輝く栗毛の馬体の美しさは現役当時のまま。

しかし、近くでみるとさすがに馬体は痩せ細ってきている。

動きもとてもスローだ。

左後ろ足の腫れが目立つ。とても痛々しい。

(素人考えだが、フレグモーネというやつかもしれないと思った。)

でも、ビッグレッドファームのブログを読むと、(病名はハッキリ書いてないが)

イブンベイ自身はその腫れと上手に付き合って生活しているとのこと。

特に治療も施していないというから、見た目ほど重症ではないのだろうか。

 

オグリキャップと共に走った馬の中で、今も生き残る数少ない一頭。

無理せず、のんびりと、これからも長生きしてね、イブンベイ。

バンブーメモリー

2012 年 10 月 10 日 水曜日 投稿者:mituoka

平成元年のマイル ・チャンピオンシップ(GⅠ)

単枠指定の2頭が、期待通りの名勝負を見せてくれた

その2頭とは、あのオグリキャップと、ここに紹介するバンブーメモリーである

オグリ大好き人間の私にとって、武豊とバンブーメモリーのコンビは、

「敵」以外の何物でもなかった

京都の直線、バンブーメモリーが抜群の瞬発力でオグリを一気に引き離し、

2馬身以上の差が開いた時点では、さしものオグリ信者たちも白旗を上げたはず

(武豊も勝ったと思ったそうだ)

しかしオグリはそこから、あの伝説的な追い込みを見せるのだが、

束の間とはいえ、オグリを置き去りにしたバンブーメモリーの瞬発力は、

さすがだった

もうひとつ、オグリとの関係で忘れてはならないことがある

バンブーメモリーもオグリと同様に、

その翌週のジャパンカップに連闘で臨んでいた点だ

マイルCS ⇒ ジャパンCの連闘は、完全にオグリの代名詞でもあるし、

フジテレビ(大川和彦アナ)によるジャパンカップのレース実況放送中に、

バンブーメモリーの名が一度も呼ばれていないこともあって(※)、

彼の「連闘」は、忘れ去られている感がある

(※レースが殺人的なハイペースで進んだこともあり、大川アナにしてみれば、後方から追走していたバンブーメモリーたちを紹介するには時間が足りなかったのだろう)

しかし、バンブーメモリーはオグリと共に、凱旋門賞馬(キャロルハウス)、

世界レコードホルダー(ホークスター)をはじめとする強力な外国馬に、

玉砕覚悟で立ち向かっていった日本勢の一員だった

そういう意味では、オグリのライバルというより、むしろ戦友ともいえる

バンブーメモリーは今、北海道浦河のバンブー牧場で余生を過ごす

オグリと同級生の27歳(人間で言えば、90歳前後か)

バンブーメモリーは現役時代、

平成元年の安田記念、平成2年のスプリンターズSを勝った

後方待機から最後の直線、弾むように駆け抜けるレース振りが特徴

特に平成2年のスプリンターズSでは、1分7秒8の日本レコードを樹立

日本のサラブレッドとして、はじめて1分8秒の壁を破った

バンブーメモリーはまさに「スプリンター」といえよう

スプリンターらしく筋肉隆々

ベン ・ジョンソンのような体型が印象的だった

歳を取っても、その面影は残っていて、27歳とは思えぬ若さを保っている

とはいえ、秋の陽に気持ちよさそうに目を細める表情は、

さすがに「おじいちゃん」といった風情がある

入口にほど近い放牧地で、

訪れてきた人たちを出迎える役目を担うバンブーメモリー

今もなお、名門バンブー牧場の「看板馬」だ

(追記)

バンブーメモリーは「出迎え」だけじゃなく、

遠ざかる私をずっと「見送って」もくれていた(写真上)

おいおい、そんなことされちゃ、帰れなくなっちゃうじゃないか・・・

メモリーよ、お互い長生きしよう

また会おうな