‘オグリキャップ・ミンナノアイドル他’ カテゴリーのアーカイブ

ヒシマサル

2011 年 10 月 11 日 火曜日 投稿者:mituoka

 ヒシマサル

 父に、アメリカの伝説的な3冠馬・セクレタリアトを持つ超良血です

 現役時代のレースでは、いつも、のそっとスタートするので、

 道中はずっと一番後ろ

 でも、最後には必ず爆発的な追いこみを見せて、

 きさらぎ賞・毎日杯・京都3歳特別と、重賞を3連勝

 しかしシンコウラブリイ相手のNZT4歳Sでは追いこみも届かず2着・・

 シンコウラブリイに敗れてからは、

 結局一度も勝利の美酒を味わうことはできませんでしたが、

 個性派として、かなりの人気を集めました

 現在のヒシマサルは、かなりの甘えん坊

 「草をちょうだい♪」 と、

 首を上下に振ったり、足を何度もかき込んだりして、

 おねだりを続けました

 ずっと、私たちの傍を離れません

 こんな気性だから、スタートでボ~っとして、

 後手を踏んでいたのでしょう

 たまらなく可愛いヒシマサル君なのでした

 私たちが引き上げようとしても、

 さびしそうに、ずっとこちらを見つめていました(写真上)

 いつか、きっとまた来るよ ヒシマサル

ダイユウサク

2011 年 10 月 11 日 火曜日 投稿者:mituoka

 鼻ずらに走る、特徴のある白い流星

 そう、彼こそが、あのダイユウサクです

 ダイユウサクだけは、なかなか近寄ってきてくれません・・・

 「員数」扱いだったはずの有馬記念(平成3年)で、

 あのメジロマックイーンを差し切っちゃった(?)ダイユウサク

 単勝配当は130倍を超えました

 その後は一勝もできず、「一発屋」として名を馳せたダイユウサクですが、

 京都金杯を含む3連勝をマークしたこともある実力馬です

 スプリントから2500Mまで、幅広い距離で活躍しました

 水を飲みながらも、こちらを睨みつけるダイユウサク

 「ほっといてくれ!あっちに行け!」 と言わんばかりに

 後ろ脚で、何度も蹴り上げる仕草を見せました

 そんなに怒らないでくれよ、ダイユウサク

 きっと、熊沢重文ジョッキーも苦労したんだろうなぁ(笑)

 ダイユウサクは、あのオグリキャップと同級生

 とても26歳とは思えぬ元気なダイユウサクを見ることができて、

 安心しました

ウイニングチケット

2011 年 10 月 11 日 火曜日 投稿者:mituoka

 先日、北海道に行ってきました

 そして、たくさんの名馬たちに会ってきました

 まず、今回ご紹介するのはウイニングチケット

 現在は、北海道浦河の「AERU」にいます

 そこでは、チケットをはじめ、

 ニッポーテイオー、ヒシマサル、ダイユウサクの4頭が放牧中でした(写真上)

 これだけの名馬たちを一挙に見ることができるとは・・・

 私の頬は緩みっぱなし、でした

 チケットが平成5年の日本ダービーを勝ったのも、今や18年前の出来事

 最後の直線、ビワハヤヒデに迫られピンチに陥りましたが、

 そこから信じられない二枚腰を発揮して粘り切り、

 遂に栄冠を勝ち取ったウイニングチケット

 柴田政人ジョッキーに、初めてのダービーの栄冠を捧げました

 4頭の中で、真っ先にこちらに来てくれました

 その後は、ご覧のとおり、ずっと草を食んでいました

 あの激闘の疲れはもう癒えただろうか・・・

 ウイニングチケットよ、のんびり余生を過ごしてくれよ

皇帝シンボリルドルフ逝く

2011 年 10 月 5 日 水曜日 投稿者:mituoka

 私が競馬を知るきっかけになった馬が死んだ

 昭和60年の10月

 先輩にそそのかされて、天皇賞の馬券を買った

 生まれて初めてのギャンブル

 怖かったが、先輩の言葉を信じた

 「大丈夫、このレースは簡単だ」

 なんでも、史上最強馬が出走しているらしい

 その馬から流せば確実に当たる

 レースが始まってから、緑の勝負服ばかりを目で追っていた

 最後の直線、「緑」が先頭に躍り出た

 やっぱりな、先輩はすごいや、この馬は強いんだ

 しかし、ラスト200m

 大外から、黄色地に黒いストライプの勝負服が物凄い勢いで差してきた

 「うゎ!なんだぁ?この馬!」

 先輩が叫んだ

 「アッと驚くギャロップダイナ!」

 アナウンサーも叫んだ

 史上最強馬が、当時無名だった13番人気の馬に負けたのだ

 その後、ルドルフはジャパンカップと有馬記念を噂に違わぬ強さで圧勝した

 ギャロップダイナに負けた直後の馬房で、

 大粒の涙をこぼしたというルドルフの、男の意地を見た

 彼が引退してからも競馬界には

 ミホシンザンやサクラユタカオーという名馬が次々に出現し、

 私はますます競馬にハマっていった

 一方、もちろん、ときどき馬券を買ったが、馬券にハマることはなかった

 それは、初めて買ったレースが、あの天皇賞だったから

 ギャンブルに絶対はない、という教訓をルドルフから授かった

 オッズではなく、サラブレッドの美しさ・血統の不思議さを通して

 競馬を見続けることができたのは、ルドルフのおかげだったろう

 私にとっては「皇帝」ではなく、「師匠」というべき存在

 シンボリルドルフ先生、安らかに

ミンナノアイドル

2011 年 8 月 11 日 木曜日 投稿者:mituoka

 オグリキャップ最後の子、ミンナノアイドル (通称アイちゃん)

 昨夏、私は静養中のアイちゃんに会ってきました

 私が触ってもまったく動じない

 大人しく、とても人懐っこいミンナノアイドルでした

 満足そうに、喜ぶ アイちゃん (上)

 ちょっと間抜けですが(笑)、実に可愛い

 しばらくしてアイちゃんは馬房に消えていきました (下)

 しかし、図々しい私は、その後、馬房にもお邪魔しました

 

 馬房では、ず~っと、水ばかり飲んでいたアイちゃん

 あの日は暑かったからなぁ

 結局、この数週間後に引退発表が行われました

 現在は、北海道にいるミンナノアイドル

 第1子を妊娠中らしい

 オグリキャップの血を、後世に残していく役割を担っています 

オグリキャップ募金 記念品

2011 年 7 月 29 日 金曜日 投稿者:mituoka

特製QUOカード

 
 7月3日、北海道新冠町の優駿メモリアルパークで

 オグリキャップ馬像の除幕式が行われました

 馬像建立に募金をした人への記念品が、私のもとへも贈られてきました

QUOカードが入っていた紙製ケース

 QUOカードの券面額は500円

 私はオグリが出走するとき、オグリの勝つ可能性が無いと思っても、

 必ず単勝馬券を100円だけ買っていました

 これで少しはモトが取れたでしょうか(笑)

 でも、このQUOカードを使用することはありません

 

特製3Dクリスタルガラスアート

 クリスタルガラスアートはオグリキャップが立体的に浮かび上がり、

 今にも走りだしそうな臨場感!

 写真では、その迫力を伝えられないのが残念ですが、

 これはまさに、一生ものの宝です

斜めから撮影

 去年の7月3日、天国に旅立ったオグリキャップ

 ちょうどその一ヶ月前ぐらいに、妻と二人で

 「この夏はオグリに会いに行こう」 と計画を立てた矢先の悲報でした

 そして、今回の除幕式当日も、司法書士会の仕事が入ったので参列できず

 しかし・・・

  ♪ 会えない時間が 愛 育てるのさ 

 郷ひろみのヒット曲「よろしく哀愁」の歌詞のように、

 ジラされればジラされるほど、オグリキャップへの思いは募るばかり

 早く北海道に行きたい オグリキャップに会いたい!

 オグリキャップは永遠に不滅です

7月3日がやってくる

2011 年 6 月 29 日 水曜日 投稿者:mituoka

 6月24日の日本経済新聞の文化欄

 写真家・内藤律子さんのエッセーが、オグリキャップの写真と共に紹介されていた

 オグリキャップが鼻づらで、猫を撫でている

 オグリは現役引退後の牧場生活で、その猫ちゃんと大の仲良しだったという

 なんとも愛らしい、こころ温まるショット

 「勝負の鬼」だったオグリキャップ

 現役時代からはとても想像できない姿だ

 そんな心優しいオグリが逝って、もうすぐ一年が経つ

 今年の7月3日(命日)、オグリ銅像の除幕式が北海道・優駿スタリオンステーションで行われる

 私は除幕式に参列しようと、年頭からその日を心待ちにしていたのだが叶わなくなった

 7月2日から3日にかけて、被災地相談員として気仙沼へ出かけることになったからだ

 いつでも仕事に全力で取り組んでいたオグリだから

 「俺のことなんて構わんでいいから、現地で皆さんの役に立ってこい!

 と言ってくれるはず (勝手な思い込みに違いない・・・)

 「おう、わかった!オグリよ、頑張ってくるぜ!

 さぁ、一人で勝手に盛り上がったところで、お開きにしたいと思います(笑)

受け継がれるべきもの ダービー観戦記

2011 年 6 月 1 日 水曜日 投稿者:mituoka

 日本ダービーはオルフェーヴルの見事な勝利

 不良馬場をものともせず、あっという間に後続との差を広げた強さは圧巻だった

 ディープインパクトは別格としても、ここ数年のダービー馬の中では最上位にランクされる勝ちっぷりだったように思う

 あの強さなら3冠も夢ではないだろう

 管理する池江泰寿調教師は名伯楽・池江泰郎(元調教師)を父に持つ

 オルフェーヴルの父ステイゴールドも、そして母方の祖父メジロマックイーンも、池江泰郎元調教師の管理馬だった

 貴重な財産が父から子へ受け継がれ、史上最年少ダービー調教師(42歳)が誕生した

 競馬はまさにブラッドスポーツだ

 そうそう、メジロ牧場が長年の歴史に幕を閉じたというニュースにビックリしたのが数週間前

 この先、メジロの名を冠した馬が誕生することはない

 でも、数年後に産まれくるであろうオルフェーヴルを父に持つ仔馬たちは確実に、メジロアサマからメジロティターンそしてメジロマックイーンへと受け継がれた貴重な血を宿している

 その血統表に「メジロ」を発見したとき、僕はオルフェーヴルと池江調教師に再び感謝するだろう

日本ダービー

2011 年 5 月 26 日 木曜日 投稿者:mituoka

 いよいよ日曜日は 第78回 日本ダービー

 「愛馬」ミンナノアイドルが日本ダービーデーにデビューすることが決まり、ワクワクしていたのが1年前の今頃

 時が経つのは早い

 今年の第78回ダービーは混戦といわれる

 混戦あるいは戦国と言われたはダービーは何度かあったが、私個人としては平成元年(1989年)のダービーが印象深い

 その理由は、私が生で観戦した唯一の「ダービー」が平成元年だから(笑)

 レースは、直線坂下で先頭に立ったウイナーズサークル リアルバースデー が必死に食い下がり、大外から別次元の脚で一気に追い込んできたサーペンアップが3着に上がったところでゴール

 ウイナーズサークル(3番人気)が勝ち、初めて芦毛のダービー馬が誕生した

 当日の競馬場は「立錐の余地もない」という言葉がピッタリだった

 オグリキャップや武豊の活躍で競馬人気が沸騰していた最中で、スターホース不在ながら、場内はもの凄く混雑していた記憶がある

 (それ以来、私が競馬場に行くのは大きなレースの組まれない土曜日だけに限っている)

 思い起こせば昭和末期から平成初期にかけてのダービーは、毎年のように「戦国ダービー」と呼ばれ続けた

 そして各年の優勝馬は
 昭和61年 ダイナガリバー  (3番人気)
 昭和62年 メリーナイス   (4番人気)
 昭和63年 サクラチヨノオー (3番人気)
 平成 元年 ウイナーズサークル(3番人気)
 平成 2 年 アイネスフウジン  (3番人気)

 3番人気前後の馬が勝っている

 記憶に新しいところでは、あのウオッカも3番人気だった

 戦国ダービーでは1番人気は来ないのか

 強い馬が勝つ、競馬は至極単純なスポーツだ

 馬が走るのであって、過去のデータが走るわけではないから「データ予想」は嫌いだが、今年のように何が強いのかわからないときはデータを拠り所にするのもありだろう

 3~4番人気の馬を狙えばいいのかもしれない?

これぞ名勝負

2011 年 5 月 16 日 月曜日 投稿者:mituoka

 昨日のヴィクトリア・マイル

 アパパネ ブエナビスタ が素晴らしい名勝負を見せてくれました

 アパパネの完勝、ブエナビスタも負けてなお強し

 戦前から「2強対決」と騒がれおりましたが、

 「三冠馬アパパネも、さすがにブエナビスタには敵わないだろう

 多くのファンの心情は、ブエナ1.5倍 アパパネ4.1倍 というオッズに如実に表れました

 蛯名・アパパネは道中ブエナにマークされながらも、ブエナの出方を伺うのではなく、自ら動いて勝ちにいきました

 蛯名ジョッキーの勝負強さは、バブルガムフェロー(平成8年・秋の天皇賞)やエルコンドルパサー(平成10年・ジャパンカップ)、そして昨年の凱旋門賞(ナカヤマフェスタ)で見られたように、ライバル馬より先に動いたケースで存分に発揮されます

 そしてアパパネは、勝負師・蛯名ジョッキーの期待に応えたのです

 フロックではなく、実力でもぎ取った見事な勝利でしょう

 正直、 アパパネがこんなに強い馬だったとは・・・驚きです

 しかしまぁ、直線の攻防はテレビ観戦しているこちらの腰が思わず浮いてしまうようなデッドヒート!

 私個人としては、あの迫力は、3年前の秋の天皇賞(ダイワスカーレットとウオッカ)を凌駕するものだったと感じますし、平成元年の毎日王冠(オグリキャップとイナリワン)を思い出しました

 昨年のオークスで見せたサンテミリオンを差し返したシーンといい、今回といい、アパパネの勝負強さと根性は、まるでオグリキャップです

 すっかり、アパパネの大ファンになってしまいました

 次走は同じく府中・1600Mの安田記念

 男馬相手となりますが、絶対に勝ってほしい!

 負けたらきっと、ブエナビスタが許さないでしょう(笑)

 さて、「強い」ブエナはなぜ負けたのか?

 アパパネが強かったから!

 これが一番の理由

 もしかしたら、これ以外の理由は存在しないかもしれない

 でも、敢えて二番目の理由を考えてみました

 彼女の鞍上は初めてコンビを組む岩田ジョッキーでした

 勇猛果敢に馬群を縫って追いこんでくるスタイルを身上とする岩田ジョッキー

 最後の直線の半ば、アパパネの左斜め後方に位置したブエナ・岩田は内に進路を取りました

 アパパネの左側を通過して馬群を一気に抜け出そうと思ったのでしょう

 しかし、それとほぼ同時にアパパネはやや左側に斜行

 蛯名ジョッキーは、開いていた左側を閉めたのです

 これが勝負の厳しさか 

 行き場を失くしたブエナ

 そこで瞬時に岩田ジョッキーは軌道修正を図る

 今度はブエナを外へ(右へ)出していきました

 ギアを一段アップしたところだっただけに、ブエナのスピードに急ブレーキがかかったように見えました

 ブエナにいつもの瞬発力があれば、馬群を割ることができたかもしれません

 その辺は、スタートが鈍かったことと合わせ、ドバイから帰ってきての初戦ということで仕方ないところ

 決して悲観する内容ではなかったように思います

 さあ、次に両馬の対決が見られるのはいつでしょうか

 秋の天皇賞か、エリザベス女王杯か

 そのときには、ぜひ、英国からスノーフェアリーにも参戦してほしい

 今から楽しみでなりません