‘オグリキャップ・ミンナノアイドル他’ カテゴリーのアーカイブ

激闘の記憶 オグリキャップ

2010 年 8 月 10 日 火曜日 投稿者:mituoka

 グリーンチャンネルで放送された「激闘の記憶 オグリキャップ」を見た

 レースシーンが中心の番組構成だったが、高松宮杯を勝った時の河内ジョッキーのインタビューなど、初めて見る映像も少し含まれていて、それなりに楽しめた

 何度見ても、オグリキャップのレースは鳥肌が立つほど劇的で感動的

 特に、中央入りして無敵の快進撃を続けていくレースの数々を見ていると、

 この馬が負けることなど想像できない、この先シンボリルドルフの偉業にどこまで迫るか、いや、いつ追い越すのか と期待していたあの頃の胸のときめきを思い出す

 ナリタブライアンやディープインパクトさえ、あれほどまでのワクワク感は与えてくれなかった

 結局のところオグリキャップは、ルドルフには全然及ばなかったとも言えるし、ルドルフを大きく追い越したとも言えよう

 しかしそんなことはどうでもいい

 あの生気みなぎるオグリキャップが逝ったなんて、今でも信じられない

 さて、話はテレビ番組「激闘の記憶」に戻るが、私としては、先月行われた「お別れ会」の模様を、もっと詳細に紹介してほしかったけど、仕方ないか・・・

 グリーンチャンネルとは別に、関西テレビでオグリの追悼番組が放送されたと聞くが、静岡では見る機会なし(泣)

 関西テレビさん、ぜひDVD化をお願いします!

オグリキャップに感謝状

2010 年 7 月 30 日 金曜日 投稿者:mituoka

感謝状

オグリキャップ号

あなたは常に闘志あふれる競馬により多くの人々に勇気と感動を与え昭和から平成への激動期に競馬ブームの立役者として中央競馬の発展に大きく寄与されました
その貢献度は中央競馬での二十戦十二勝という戦績だけでは計りえない大変偉大なものがあります
よってここに感謝状を贈り敬意を表すとともに永遠にその功績を称えます

                            平成二十二年七月二十九日

                                   日本中央競馬会

 昨日行われたオグリキャップの「お別れ会」で、JRAがオグリキャップに感謝状を贈ったとのことです。馬に対して感謝状が贈られるのは異例らしい。

 司会を務めた鈴木淑子さんは、早々に涙で言葉を詰まらせたそうです。

 また、小栗孝一さんは、弔辞を読み上げる際に、壇上で泣き崩れたと聞きました。「私の名がついた馬を、こんなに多くのファンが応援してくれた。心から誇りに思います

 生産者の稲葉裕治さんは「あなたはがんばれば報われるという象徴でした。多くの人があなたに感動し、夢と希望を与えられました。またあなたに会える気がしてなりません」と挨拶したとのこと。

 JRA理事長が供えた追悼記帳には1万3957人の名前が記されていた。その中には「苦しい時、悲しい時にあなたのレースビデオを何度観たことか…。そのたびに大きな勇気がわいてきました」と人間形成にも役立ったという感謝の言葉もあった(スポーツニッポンより)。

 オグリキャップに勇気づけられ、人生の指針を与えてもらった人は、星の数ほど存在するはず。私もそのうちの一人。オグリキャップの伝記が、教科書に掲載されることを本気で望みます。

 1年以内にオグリのお墓が建立されるとのことです。お別れ会には行けなかったけど、必ず手を合わせに行きたいと思います。

ビワハヤヒデとウイニングチケットが函館で再会

2010 年 7 月 26 日 月曜日 投稿者:mituoka

 昨日の函館競馬場にビワハヤヒデウイニングチケットが姿を現した
 平成5年のクラシックレースを盛り上げた好敵手同士
 JRAもなかなか粋なイベントを決行してくれたものだ

 2頭のうち、私の思い入れが強いのはビワハヤヒデのほう
 理由は、タマモ・オグリから続いた芦毛伝説の継承者であったし、コロンとした体形大きな可愛い顔が実に特徴的だったから

 4歳秋にメンコを外すと、顔の大きさが余計際立って、ちょっとおかしかった(ハヤヒデ君、失礼!)
 高い次元のスピードとスタミナを兼ね備えた名馬で、私がリアルタイムで知る馬の中でも最強クラスだと思う

 彼が本格化したのは神戸新聞杯だと思うが、その勝ちっぷりは凄かった!2着のネーハイシーザーを大きく突き放し、3着以下はネーハイからさらに7~8馬身引き離されていた。神戸新聞杯以降、ビワハヤヒデを差し切ったのは、有馬でのトウカイテイオーしかいないのだから、まったく大したものだ(5歳秋の天皇賞は参考外とします)
 また、記憶に間違いがなければ、平成5年、週刊Gallopの創刊号(菊花賞の週に発売)の表紙を飾ったのはビワハヤヒデ君の大きな顔のどアップだったはず(笑)

 昨日、函館競馬場でのビワハヤヒデをテレビを通して見たが、顔は小さくなって(そんなことあるわけないが)、体も随分スマートになったように感じた。体がしぼんできたのは、さすがに老いてきた証拠だろう。

 
 ウイニングチケットは3歳のホープフルSの勝ちっぷりが衝撃的だった
 最後の直線、みるみる後続との差を広げていき、どこまでも止まらないような末脚に魅せられた
 朝日杯でビワハヤヒデが今一歩のレースをした直後だったので、来年はこの馬が3冠を取るんじゃないか?と思った

 4歳になってからはダービーも素晴らしかったが、京都新聞杯も印象深い
 マイヨジョンヌ(前述ホープフルSの2着馬)の逃げ切り濃厚と思ったら、チケットが矢のように飛んできた

 あれからもう17年経つのか・・・  

 少年老い易く、学成り難し
 
 俺はまったく成長していないよなと、悲しくもなる
 

 名馬2頭、昨日は激闘の日々の思い出を語り合ったのでしょうか
 ビワも、そしてチケットも、余生をのんびりと過ごしてください

山田雅人さんの「かたり」に感動

2010 年 7 月 25 日 日曜日 投稿者:mituoka

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 昨夜、埼玉県にて、タレント・山田雅人さんの「かたり」を拝聴。

 「オグリキャップを忘れない」と題して、山田さんがオグリキャップを熱く語ってくれました。

 私は以前から、競馬を「抒情的」に語ってくれるという点で、故 寺山修司さん・作家の高橋源一郎さんらに並ぶ存在として山田雅人さんを認知しており大ファンでした。

 山田さんは「情熱的」でもあります。馬を愛してやまない、という山田さんの思いが伝わってきました。
 

 「かたり」の中で、オグリキャップやタマモクロスが大阪弁で、「芦毛最強対決」を繰り広げていた昭和63年当時の胸のうちを吐露していました。

 オグリ 「俺より強い奴がおったなんて、びっくりしたわ」

 タマモ 「最後まで離れずピッタリついてくるとは、お前、やるやんけ」

 こんな調子です

 山田さん曰く、「オグリもタマモも関西馬だから大阪弁をしゃべる」 そうです。ユーモアもたっぷりでした。

 
 講演後、少しの時間、山田さんとお話することができました。

 昭和45年のAT対決(アローエクスプレスとタニノムーティエのことです)のときから、競馬記事のスクラップ収集をなさっているらしい。私の知らない名馬・名勝負をたくさん知ってらっしゃる。

 「優駿」誌にサインまでいただきました(写真)。これは私の宝物です。
 (※今月発売の「優駿」誌上で、山田雅人さんとアナウンサーの杉本清さんが、オグリキャップについての対談をなさっています。)

 かつて、高橋源一郎さんがオグリキャップを 「偉くなってしまったけど、決して威張ることのない隣の気さくなアンちゃん」と評していましたが、山田雅人さんは、まさにそんな感じの人でした。

 びっくりするほど、気さくに、温かく接してくれました。

 
 今夏オグリに会う夢は叶わなかったけど、山田雅人さんに会うことができた。

 また、来場者の中には、7月12日付の私のブログを読んで、山田さんの講演を知り、会場に駆け付けたという埼玉県の女性もいらっしゃいました。

 本当に驚きでした。大変感激しました。

 こうした素敵な出逢いの数々は、オグリキャップからのプレゼント。

 オグリがいなかったら、お会いすることのない人たちだったはず。

 あらためて、オグリキャップに感謝です。

ミンナノアイドル引退

2010 年 7 月 14 日 水曜日 投稿者:mituoka

 ローレルクラブより封書が届きました。

 内容は、ミンナノアイドルの引退(登録抹消)報告 でした。

 「右前屈腱炎」を発症し、広範囲に炎症が認められ、競争馬としては致命傷・・・とのこと。

 オグリキャップが死亡したのに続き、アイちゃんも引退。

 今月は残念なニュースが続きました。

 しかし、繁殖牝馬になるということですから、数年後、ミンナノアイドルの仔が競馬場を沸かしてくれることでしょう♪

 オグリキャップからアイちゃんへと渡ったバトンは、まだまだ受け継がれます。

 競馬というものは、一旦大好きな馬ができると、その子孫をずっと追っかけることができるところに楽しみがあります。

 夢の続きはこれからです。

 アイちゃん、ご苦労さまでした。

 未勝利で終わってしまったけど、ダービーデイ、それも妻の誕生日にデビューしてくれたことは、一生の思い出。

 「5月30日デビュー」が決まり、レースが終わるまでの数日間、日常の生活では体験することのないドキドキ・ワクワク感を味わえました。

 放牧先でも、いっぱい撫でさせてくれてありがとう。

 優しいお母さんになってね。

 近日中にアイちゃんの写真をたくさんアップします。

これで最後 オグリキャップよ さようなら

2010 年 7 月 12 日 月曜日 投稿者:mituoka

 先週の月曜日から、オグリキャップに関することばかりを書き綴りました。
 ご安心ください、もちろん、この間も、仕事は一生懸命やっておりました。
 毎日のように裁判所にも顔を出しておりましたし、毎晩残業しておりました。

 しかし、「喪に服す」という意味も込めて、ブログにおいては、オグリキャップ以外のことを書くことは控えておりました。書いても書いても、オグリについては書き尽くせませんが、とりあえず、これで最後にします。「このバカ、まだやるのか?」 などと言わないで、今回だけはお付き合いください。

 

まずは、オグリキャップにまつわる思い出話を2つ。

 平成元年ジャパンカップの2日前、大学近くにあったレストラン「フォルクス(VOLKS)」にて、四ツ谷駅の売店で買ったばかりの「競馬報知」やスポーツ新聞を見ながら、友人のKくんと検討会を開きました。

 まず、その「競馬報知」の表紙について議論が始まりました。

 表紙の写真はスーパークリークでした。
 たしか「日本の総大将!」と書かれておりました。

 冗談じゃない!日本の総大将はオグリキャップだ!と私は怒っておりました(笑)

 やはり、GⅠ連闘が嫌われたのでしょう。
 それに対して、スーパークリークにとっては、長距離適性や余裕のあるローテーション・・等の有利な条件が揃っていました。

 あのレース前、マスコミのオグリに対する評価は、信じられないほど低かったのです。それまで常に主役を張ってきたオグリは、まったく脇役扱いになっていました。
 
 その一ヶ月前の天皇賞、スーパークリークに負けたけど、直線の不利がなければ絶対にオグリが勝っていた。

 どんな悪条件でも、オグリは絶対に最後は追いこんでくる!

 その頃の私は、完全に「オグリ教」の信者になっていました。

 レースの予想でも、もちろんオグリキャップの「2枠」を中心に押しました。

 私は野球部に属しておったのですが、1年時の背番号が22だったこと、
 大好きな田淵幸一選手(阪神→西武)の現役時代の背番号も22だったこと、
 おまけに、私のボーリングのハイスコアが222であることを持ち出し、
 
 「俺は2という数字に縁がある。2-2で決まるんじゃないかな」などと冗談を言っておりました。

 すると、ご存じのとおり、枠連2-2で決まりました。
 そして、2分22秒2(!)という世界レコードのおまけつき。

 
 そして、最後の有馬記念。
 その前夜、クラスメートと渋谷の居酒屋「やる気茶屋」で語り合っていました。

 オグリは終わった、勝てるわけがない、という意見が圧倒的。
 沈んだ気持ちのまま、傍にあった新聞に目を落とすと、「明日の運勢」コーナーが目に飛び込んできました。

 「8月生まれの人のラッキーナンバーは8、ラッキーカラーは青」

 私は8月生まれ。
 オグリキャップは4枠8番。
 4枠の馬に乗るジョッキーは青色の帽子をかぶることになっています。
 武豊騎手が青の帽子、オグリは8番ゼッケンを身に付けて走る!

 オグリは勝つかもしれない!と思ったのでした。

 レース後、私の家の電話が引っ切り無しに鳴り響きました。
 「オグリ、すごかったな!おめでとう!」 と友達3人から。

 まるで、オグリキャップのオーナーになった気分で、
 「ありがとう、ありがとう」 と、答えた続けたのでありました(笑)。

  

今月末、山田雅人さんの「オグリキャップを忘れない」という講演を、埼玉の越谷市まで聴きに行きます。

 私なんかより、もっと熱く、もっと饒舌に、オグリキャップを語ってくれることでしょう。

 今から楽しみです。

 山田さんの「語り」に、参加者全員、大泣きするのでは。
 
 涙が枯れ果てたら、完全に気持ちの整理が付きそうです。

 ちなみに、問い合わせの電話を会場に入れたとき、対応くださった女性スタッフの名は「有馬さん」でした。

 なにかの縁でしょうか。

 

最後に、ユーミンの「卒業写真」の歌詞を一部拝借して、締めたいと思います。

 あなたは私の青春そのもの でした。

 さようなら、オグリキャップ。

オグリキャップ追悼レースを盛り上げた ギンゲイ

2010 年 7 月 12 日 月曜日 投稿者:mituoka

 10日(土曜日)、阪神競馬場のメインレース、ジュライ・カップ。

 「オグリキャップ追悼レース」と位置づけられました。

 そこに、オグリキャップの孫にあたるギンゲイが出走したのであります。

 現在、中央競馬に所属するサラブレッドの中で、オグリキャップの血を受け継ぐのはわずか3頭 (※もし間違っていたら、ご指摘ください。)

 オグリキャップの孫 ギンゲイ  シティボス

 そして、オグリキャップの最後の子供 ミンナノアイドル

 このレースに、オグリに縁のある馬が出走したこと自体、奇跡と言えますが、
 なんと、ギンゲイは4枠8番

 オグリキャップが最後の有馬記念を勝ったときとまったく同じ。

 ドラマチックです。

 さて、肝心なレースですが、4番人気に支持されたギンゲイは14着に完敗。

 でも、出走した18頭の中で、ただ1頭の「芦毛が、一生懸命にゴールを目指している姿を見れただけで大感激です。

 お祖父さんも天国で喜んでいたことでしょう。

 ありがとう、ギンゲイ。これからも、頑張れ!

※このブログを書いたあとに知ったのですが、今月、美浦の中野栄治厩舎に入厩したマイネルプリュームは、オグリエンゼルの仔。つまり、オグリの孫にあたります。
 オグリエンゼルは笠松で連戦連勝をした芦毛。もちろんオグリキャップの子供であります。通算勝利数は27(これも不正確な数字かもしれません。間違いがあったらご指摘ください)。マイネルプリュームは残念ながら芦毛ではありませんが、応援する価値は大です!頑張れ!

アナウンサーをも突き動かす馬 オグリキャップ

2010 年 7 月 9 日 金曜日 投稿者:mituoka
これはオグリ最後の仔、ミンナノアイドルです

これはオグリ最後の仔、ミンナノアイドルです

 オグリキャップといえば、出走したレースにおける名実況がたくさん残っていることでも有名です。

 89年ジャパンカップでの大川和彦アナ(フジテレビ)
 「オグリ!オグリ!オグリキャップ頑張れ!オグリキャップ頑張れ!

 90年宝塚記念での杉本清アナ(関西テレビ)
 「オグリ、ピンチ!オグリ負けるな!

 90年有馬記念での白川次郎アナ(ラジオたんぱ)
 「さぁ頑張るぞ!オグリキャップ

 以上の3つはとても有名です。

 公正な立場で実況しなければいけないアナウンサーが、ついつい肩入れしたくなるほど、オグリキャップの走りは魅力的でした。

 あまり知られていないのですが、NHK藤井康生アナの実況(90年有馬記念)も、私にはとても印象深いです。

 以下は私の記憶による実況の再現です。間違いがあったらご容赦ください。

 第3コーナーから最終第4コーナーにかけて、オグリがスッと先頭集団に取り付いて行ったとき、
 「いよいよ武豊が 最後のドラマ、最後のドラマを作りにいった!

 鳥肌が立ちました。

 ある外科医さんがブログで、この実況について、 「よくあそこまで言い切ったものだ」 と書かれていましたが、私も同感です。

 藤井アナは、ここ数戦とは違うオグリの動きを見て、奇跡が起こる気配を察したのでしょう。

 ゴールまであと200Mあたりで
 「オグリキャップが先頭だ!これが最後のターフだ!オグリキャップ勝つか!

 ゴールしたときには
 「オグリキャップが勝ったぁ~!」と絶叫。

 NHKのHP内で藤井アナは、〈アナウンサーになって印象に残っている仕事〉として「オグリキャップ最後の有馬記念」と書いています。

 余談ですが、この有馬記念の少し前に、「ロッキー5 最後のドラマ」という映画が日本で封切られたばかりでした。

 藤井アナはオグリ・ファンでもあり、ロッキーのファンでもあったのでは? 

 記憶に残る実況の数々は、名馬オグリキャップが、名アナウンサーたちの心を突き動かした結果、生まれたのだと思います。

千両役者 オグリキャップの引退式

2010 年 7 月 7 日 水曜日 投稿者:mituoka

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 平成3年1月27日、私は同じ大学の友人・片山くんと一緒に、東京府中競馬場で行われたオグリキャップの引退式を見に行きました。

 片山くんは、まったく競馬に興味がない関西人でしたが、私の強引な(?)薦めによりテレビ観戦した89年のマイルCSで、すっかりオグリに魅せられてしまい、それ以降、私と同様、オグリ・フリークになってしまった男です。

 さて、引退式当日の話。

 お昼休みに、オグリキャップがパドックに登場。

 オグリが10分間ぐらい大威張りで周回していると、武豊ジョッキーが颯爽と姿を現し、オグリの背にまたがろうと近づきました。

 すると、オグリは、茶目っ気たっぷりに、そそくさと後ずさりし、それを拒みました。

 「武君、今日の主役は俺だぜ! 一人で周回させてくれよ
 
 パドックを取り囲んでいた観衆から、ドっと笑い声があがりました。

 武豊ジョッキーも、首をかしげて苦笑い・・・。

 オグリキャップは本物のスーパースターだなぁ と感心したものです。

 東京競馬場での引退式の様子は今でもDVD等で見ることができますが、パドックでオグリが見せたこのパフォーマンスは映像化されていないので、ここにご紹介しました。

 なお、掲載の写真は、使い捨てカメラ「写るんです」で撮ったもの。
 
 当時は今のようにデジカメや携帯電話もありませんでしたので・・・。

 現像済みの写真を携帯カメラで写し、それを掲載したのでかなりボケております。

 でも、手元にある実物は20年前のものとは思えないほど、クッキリと鮮明で、とっても綺麗な写真なんですよ。

 オグリの思い出は、永遠に色あせることなどありません。

オグリがいたからこそ

2010 年 7 月 7 日 水曜日 投稿者:mituoka

 JRAは、今度の土曜日の全メインレースに「オグリキャップ追悼競争」と銘打つらしいです。

 また、全国各地でオグリの献花台が設けられ、訪れる人々は絶えません。

 有馬記念での劇的復活を通じて、オグリキャップは、たくさんの人間を励ましてくれました。

 冷静な予想家たちから切り捨てられた「かつての英雄」が、絶望の淵に立っていた「老兵」が、歯を食いしばって勝ち取った栄冠。

 自殺を考えていた若者は「また頑張ってみよう」と思いとどまったことでしょう。

 落ち込んでいた浪人生は「よし、来年も受験しよう」と机に向かったと思います。

 オグリキャップは、多くの人間を、「もう一度」と奮い立たせてくれました。

 オグリのラストランから3ヶ月後、私は大学から除籍処分を受け、東京でフリーター生活を送ることになってしまいました。

 何の目標も見つけることができず、将来に不安を感じ始めました。

 毎朝、オグリの有馬記念のビデオを見てからアルバイトに向かいました。

 諦めちゃいけない、とオグリが励ましてくれている気がしました。

 その年の夏には、オグリから暑中見舞いが届きました。

 CD 「オグリキャップForever」を購入した特典です。

 「P.S.元気です。オグリキャップ」という短い挨拶文とともに、牧草を食むオグリの写真がハガキ一面に印刷されていました。

 バカらしい、と思われるでしょうが、私にとっては効果てきめんのビタミン剤!

 私は一念発起し、学歴に関係なく受験できる司法書士試験を受けてみようと決めました。

 父が司法書士だったとはいえ、それがどんな職業かさえ知らなかったし、法律など学んだこともなく、加えて元来勉強嫌いの私にとっては、とても難しい試験でしたが、毎年諦めず受け続け、7回目の受験でようやく合格できました。

 オグリの存在がなかったら、きっと私は途中で投げ出していたと思います。

 

 「今でもあなたが大好き!

 2年前にオグリキャップが東京競馬場に里帰りした際に、パドックに貼られていた横断幕の言葉です。

 この言葉が、オグリ・ファン全員の気持ちを端的に表しています。

 私たちは、これからも、ずっと、オグリキャップが大好きです。