2010 年 7 月 のアーカイブ

これで最後 オグリキャップよ さようなら

2010 年 7 月 12 日 月曜日 投稿者:mituoka

 先週の月曜日から、オグリキャップに関することばかりを書き綴りました。
 ご安心ください、もちろん、この間も、仕事は一生懸命やっておりました。
 毎日のように裁判所にも顔を出しておりましたし、毎晩残業しておりました。

 しかし、「喪に服す」という意味も込めて、ブログにおいては、オグリキャップ以外のことを書くことは控えておりました。書いても書いても、オグリについては書き尽くせませんが、とりあえず、これで最後にします。「このバカ、まだやるのか?」 などと言わないで、今回だけはお付き合いください。

 

まずは、オグリキャップにまつわる思い出話を2つ。

 平成元年ジャパンカップの2日前、大学近くにあったレストラン「フォルクス(VOLKS)」にて、四ツ谷駅の売店で買ったばかりの「競馬報知」やスポーツ新聞を見ながら、友人のKくんと検討会を開きました。

 まず、その「競馬報知」の表紙について議論が始まりました。

 表紙の写真はスーパークリークでした。
 たしか「日本の総大将!」と書かれておりました。

 冗談じゃない!日本の総大将はオグリキャップだ!と私は怒っておりました(笑)

 やはり、GⅠ連闘が嫌われたのでしょう。
 それに対して、スーパークリークにとっては、長距離適性や余裕のあるローテーション・・等の有利な条件が揃っていました。

 あのレース前、マスコミのオグリに対する評価は、信じられないほど低かったのです。それまで常に主役を張ってきたオグリは、まったく脇役扱いになっていました。
 
 その一ヶ月前の天皇賞、スーパークリークに負けたけど、直線の不利がなければ絶対にオグリが勝っていた。

 どんな悪条件でも、オグリは絶対に最後は追いこんでくる!

 その頃の私は、完全に「オグリ教」の信者になっていました。

 レースの予想でも、もちろんオグリキャップの「2枠」を中心に押しました。

 私は野球部に属しておったのですが、1年時の背番号が22だったこと、
 大好きな田淵幸一選手(阪神→西武)の現役時代の背番号も22だったこと、
 おまけに、私のボーリングのハイスコアが222であることを持ち出し、
 
 「俺は2という数字に縁がある。2-2で決まるんじゃないかな」などと冗談を言っておりました。

 すると、ご存じのとおり、枠連2-2で決まりました。
 そして、2分22秒2(!)という世界レコードのおまけつき。

 
 そして、最後の有馬記念。
 その前夜、クラスメートと渋谷の居酒屋「やる気茶屋」で語り合っていました。

 オグリは終わった、勝てるわけがない、という意見が圧倒的。
 沈んだ気持ちのまま、傍にあった新聞に目を落とすと、「明日の運勢」コーナーが目に飛び込んできました。

 「8月生まれの人のラッキーナンバーは8、ラッキーカラーは青」

 私は8月生まれ。
 オグリキャップは4枠8番。
 4枠の馬に乗るジョッキーは青色の帽子をかぶることになっています。
 武豊騎手が青の帽子、オグリは8番ゼッケンを身に付けて走る!

 オグリは勝つかもしれない!と思ったのでした。

 レース後、私の家の電話が引っ切り無しに鳴り響きました。
 「オグリ、すごかったな!おめでとう!」 と友達3人から。

 まるで、オグリキャップのオーナーになった気分で、
 「ありがとう、ありがとう」 と、答えた続けたのでありました(笑)。

  

今月末、山田雅人さんの「オグリキャップを忘れない」という講演を、埼玉の越谷市まで聴きに行きます。

 私なんかより、もっと熱く、もっと饒舌に、オグリキャップを語ってくれることでしょう。

 今から楽しみです。

 山田さんの「語り」に、参加者全員、大泣きするのでは。
 
 涙が枯れ果てたら、完全に気持ちの整理が付きそうです。

 ちなみに、問い合わせの電話を会場に入れたとき、対応くださった女性スタッフの名は「有馬さん」でした。

 なにかの縁でしょうか。

 

最後に、ユーミンの「卒業写真」の歌詞を一部拝借して、締めたいと思います。

 あなたは私の青春そのもの でした。

 さようなら、オグリキャップ。

オグリキャップ追悼レースを盛り上げた ギンゲイ

2010 年 7 月 12 日 月曜日 投稿者:mituoka

 10日(土曜日)、阪神競馬場のメインレース、ジュライ・カップ。

 「オグリキャップ追悼レース」と位置づけられました。

 そこに、オグリキャップの孫にあたるギンゲイが出走したのであります。

 現在、中央競馬に所属するサラブレッドの中で、オグリキャップの血を受け継ぐのはわずか3頭 (※もし間違っていたら、ご指摘ください。)

 オグリキャップの孫 ギンゲイ  シティボス

 そして、オグリキャップの最後の子供 ミンナノアイドル

 このレースに、オグリに縁のある馬が出走したこと自体、奇跡と言えますが、
 なんと、ギンゲイは4枠8番

 オグリキャップが最後の有馬記念を勝ったときとまったく同じ。

 ドラマチックです。

 さて、肝心なレースですが、4番人気に支持されたギンゲイは14着に完敗。

 でも、出走した18頭の中で、ただ1頭の「芦毛が、一生懸命にゴールを目指している姿を見れただけで大感激です。

 お祖父さんも天国で喜んでいたことでしょう。

 ありがとう、ギンゲイ。これからも、頑張れ!

※このブログを書いたあとに知ったのですが、今月、美浦の中野栄治厩舎に入厩したマイネルプリュームは、オグリエンゼルの仔。つまり、オグリの孫にあたります。
 オグリエンゼルは笠松で連戦連勝をした芦毛。もちろんオグリキャップの子供であります。通算勝利数は27(これも不正確な数字かもしれません。間違いがあったらご指摘ください)。マイネルプリュームは残念ながら芦毛ではありませんが、応援する価値は大です!頑張れ!

アナウンサーをも突き動かす馬 オグリキャップ

2010 年 7 月 9 日 金曜日 投稿者:mituoka
これはオグリ最後の仔、ミンナノアイドルです

これはオグリ最後の仔、ミンナノアイドルです

 オグリキャップといえば、出走したレースにおける名実況がたくさん残っていることでも有名です。

 89年ジャパンカップでの大川和彦アナ(フジテレビ)
 「オグリ!オグリ!オグリキャップ頑張れ!オグリキャップ頑張れ!

 90年宝塚記念での杉本清アナ(関西テレビ)
 「オグリ、ピンチ!オグリ負けるな!

 90年有馬記念での白川次郎アナ(ラジオたんぱ)
 「さぁ頑張るぞ!オグリキャップ

 以上の3つはとても有名です。

 公正な立場で実況しなければいけないアナウンサーが、ついつい肩入れしたくなるほど、オグリキャップの走りは魅力的でした。

 あまり知られていないのですが、NHK藤井康生アナの実況(90年有馬記念)も、私にはとても印象深いです。

 以下は私の記憶による実況の再現です。間違いがあったらご容赦ください。

 第3コーナーから最終第4コーナーにかけて、オグリがスッと先頭集団に取り付いて行ったとき、
 「いよいよ武豊が 最後のドラマ、最後のドラマを作りにいった!

 鳥肌が立ちました。

 ある外科医さんがブログで、この実況について、 「よくあそこまで言い切ったものだ」 と書かれていましたが、私も同感です。

 藤井アナは、ここ数戦とは違うオグリの動きを見て、奇跡が起こる気配を察したのでしょう。

 ゴールまであと200Mあたりで
 「オグリキャップが先頭だ!これが最後のターフだ!オグリキャップ勝つか!

 ゴールしたときには
 「オグリキャップが勝ったぁ~!」と絶叫。

 NHKのHP内で藤井アナは、〈アナウンサーになって印象に残っている仕事〉として「オグリキャップ最後の有馬記念」と書いています。

 余談ですが、この有馬記念の少し前に、「ロッキー5 最後のドラマ」という映画が日本で封切られたばかりでした。

 藤井アナはオグリ・ファンでもあり、ロッキーのファンでもあったのでは? 

 記憶に残る実況の数々は、名馬オグリキャップが、名アナウンサーたちの心を突き動かした結果、生まれたのだと思います。

千両役者 オグリキャップの引退式

2010 年 7 月 7 日 水曜日 投稿者:mituoka

 CA3F0745

 平成3年1月27日、私は同じ大学の友人・片山くんと一緒に、東京府中競馬場で行われたオグリキャップの引退式を見に行きました。

 片山くんは、まったく競馬に興味がない関西人でしたが、私の強引な(?)薦めによりテレビ観戦した89年のマイルCSで、すっかりオグリに魅せられてしまい、それ以降、私と同様、オグリ・フリークになってしまった男です。

 さて、引退式当日の話。

 お昼休みに、オグリキャップがパドックに登場。

 オグリが10分間ぐらい大威張りで周回していると、武豊ジョッキーが颯爽と姿を現し、オグリの背にまたがろうと近づきました。

 すると、オグリは、茶目っ気たっぷりに、そそくさと後ずさりし、それを拒みました。

 「武君、今日の主役は俺だぜ! 一人で周回させてくれよ
 
 パドックを取り囲んでいた観衆から、ドっと笑い声があがりました。

 武豊ジョッキーも、首をかしげて苦笑い・・・。

 オグリキャップは本物のスーパースターだなぁ と感心したものです。

 東京競馬場での引退式の様子は今でもDVD等で見ることができますが、パドックでオグリが見せたこのパフォーマンスは映像化されていないので、ここにご紹介しました。

 なお、掲載の写真は、使い捨てカメラ「写るんです」で撮ったもの。
 
 当時は今のようにデジカメや携帯電話もありませんでしたので・・・。

 現像済みの写真を携帯カメラで写し、それを掲載したのでかなりボケております。

 でも、手元にある実物は20年前のものとは思えないほど、クッキリと鮮明で、とっても綺麗な写真なんですよ。

 オグリの思い出は、永遠に色あせることなどありません。

オグリがいたからこそ

2010 年 7 月 7 日 水曜日 投稿者:mituoka

 JRAは、今度の土曜日の全メインレースに「オグリキャップ追悼競争」と銘打つらしいです。

 また、全国各地でオグリの献花台が設けられ、訪れる人々は絶えません。

 有馬記念での劇的復活を通じて、オグリキャップは、たくさんの人間を励ましてくれました。

 冷静な予想家たちから切り捨てられた「かつての英雄」が、絶望の淵に立っていた「老兵」が、歯を食いしばって勝ち取った栄冠。

 自殺を考えていた若者は「また頑張ってみよう」と思いとどまったことでしょう。

 落ち込んでいた浪人生は「よし、来年も受験しよう」と机に向かったと思います。

 オグリキャップは、多くの人間を、「もう一度」と奮い立たせてくれました。

 オグリのラストランから3ヶ月後、私は大学から除籍処分を受け、東京でフリーター生活を送ることになってしまいました。

 何の目標も見つけることができず、将来に不安を感じ始めました。

 毎朝、オグリの有馬記念のビデオを見てからアルバイトに向かいました。

 諦めちゃいけない、とオグリが励ましてくれている気がしました。

 その年の夏には、オグリから暑中見舞いが届きました。

 CD 「オグリキャップForever」を購入した特典です。

 「P.S.元気です。オグリキャップ」という短い挨拶文とともに、牧草を食むオグリの写真がハガキ一面に印刷されていました。

 バカらしい、と思われるでしょうが、私にとっては効果てきめんのビタミン剤!

 私は一念発起し、学歴に関係なく受験できる司法書士試験を受けてみようと決めました。

 父が司法書士だったとはいえ、それがどんな職業かさえ知らなかったし、法律など学んだこともなく、加えて元来勉強嫌いの私にとっては、とても難しい試験でしたが、毎年諦めず受け続け、7回目の受験でようやく合格できました。

 オグリの存在がなかったら、きっと私は途中で投げ出していたと思います。

 

 「今でもあなたが大好き!

 2年前にオグリキャップが東京競馬場に里帰りした際に、パドックに貼られていた横断幕の言葉です。

 この言葉が、オグリ・ファン全員の気持ちを端的に表しています。

 私たちは、これからも、ずっと、オグリキャップが大好きです。

さらば友よ 師よ オグリキャップ逝く

2010 年 7 月 5 日 月曜日 投稿者:mituoka

 オグリキャップが死亡しました。

 親友のような、恩師のような、大きな存在でした。

 同世代のファンの多くは、同じような思いを抱いてらっしゃるはずです。

 オグリが中央競馬に在籍した昭和63年から平成2年までの3年間は、国内外ともに激動の時代の真っただ中でした。

 昭和の終焉、中国天安門事件、東西ドイツ統一、そしてバブル崩壊・・・。

 それらの大事件に勝るとも劣らず、オグリのドラマチックなレースの数々は、私たちの脳裏に深く刻み込まれました。

 ハイセイコーを知らない筆者にとって、彼こそが、唯一無二の「怪物」でした。

 この5月から、オグリキャップの見学が再開されたと聞いたので、今夏は北海道へ行こうと決めていた。

 ちょうど20年ぶりの「再会」を目前に、僕は胸躍る毎日を過ごしていました。

 そこへ突然の訃報。

 まったく信じられません。

 心に大きな穴が空いてしまいました。

 しかし、受け入れるしかありません。

 辛いときでも一生懸命がんばれ!と教えてくれたのはオグリでしたから。

 みなさん、気持ちを切り替えましょう。

 オグリキャップは幸せな馬でしたよね。

 多くのサラブレッドが、行く先もわからず処分されていく中、25歳まで長生きできたのです。

 オグリはきっと天国で、一足先に旅立った池江敏郎さんに、また世話をしてもらえることでしょう。

 タマモクロスもいる。今度はレースではなく、一緒に仲良くのんびり駆けるといい。

 よかったな、オグリ。 

 あっちに行っても、きっと、さびしくはないよ。

 でも、20年前の年の瀬、こっちで沸き起こった、お前の名を連呼する18万人の叫びをいつまでも覚えていてくれよな。

 鈴木淑子さんの言葉ではないが、あの日僕らは、「一生分の元気」をもらったよ。

 本当にありがとう。

 オグリキャップよ、どうぞ、安らかにお眠りください。

不景気

2010 年 7 月 2 日 金曜日 投稿者:mituoka

 私が原告代理人を務める三島の裁判事件

 委任契約に基づいて発生した報酬金の請求

 本日、被告会社の代表者から連絡をいただいた

 原告の希望としては、一括は無理にせよ、分割ならば毎月5万円程度は支払ってほしい

 しかし、被告代表者は、経営の悪化等の理由により毎月1万円が精一杯とのこと

 和解を断念して「勝訴判決」をもらったとしても、被告に任意の支払いは期待できそうもない

 そこで依頼人(原告)と被告代表者を説得し、「毎月1万5千円の支払い」という内容で和解した

 次回の口頭弁論期日で「和解に代わる決定」により決着させる予定

 同様に私が原告代理人を務める静岡簡裁の事件(未払い賃料請求)でも、原告と被告の希望月賦金額に大きな差がある

 原告は毎月5万円、被告のほうは毎月5千円、と言う

 こちらのほうは、和解できるかどうか不安だ

 バランスシートを見せてもらったわけではないが、本当はもっと支払える余裕があるのに被告がウソを言っている、という感じではなさそう

 相手方から出てくる言葉は、「この景気なので・・・」 ばかり

 今回は債権者の代理人ではあるが、普段は多重債務者の代理人になって債務整理にあたることのほうが多いので、被告の苦しい台所事情も痛いほどわかる

 支払えるけど支払わない、という不届き者ではなくて、支払いたいけど支払えない真面目な債務者も多い

 三島・静岡の事件ともに、債務不履行があったのは事実だし、もっと早く債権者に事情を説明しておけば、訴えられずに済んだかもしれぬ

 被告に落ち度があったのは間違いない、しかし・・・

 日本の不景気はいつまで続くのだろう

☆過払い金・債務整理に関する無料電話相談054-251-2681
司法書士法人 静岡 (旧 三岡司法書士事務所)・葵区二番町
☆猫ブログ「猫のゴン太くん」もよろしくhttp://www.gonta-cat.net/

アイフル 悪意の受益者等に関する判決文紹介

2010 年 7 月 2 日 金曜日 投稿者:mituoka

先日、アイフルの過払い訴訟で勝訴したが、その判決文中、
 
 ・ 「悪意」に関する部分
 ・ 「過払い金の返還範囲」の部分

 について、抜粋して紹介する

準備書面等でアイフルに対して反論する際のご参考にどうぞ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

第3 争点に関する判断

1 争点(1)「被告の悪意について」
(1)被告は悪意の受益者といえるか。
 悪意とは、法律上の原因を欠く利得であるとの認識(本件では、みなし弁済の要件を欠く結果、利息制限法の制限利率を超過する、法律上の原因を欠く弁済であるとの認識)と解すべきところ、貸金業法のみなし弁済の規定は利息制限法の例外規定である以上、その要件の存在は厳格に解されなくてはならず、その意味で、みなし弁済は容易には認められないという認識を、被告は貸金業者である以上有していたといえるから、被告においてみなし弁済の立証がされない以上、被告から、そのように認識することはやむを得なかったといった、後に述べるような特段の事情があったとの反証がない限り、被告においては、過払金が発生した弁済の受領時において、みなし弁済の要件を欠くとの認識があったと推定するのが相当である。
 ところで、本件においては、みなし弁済の立証がない(被告は、みなし弁済の主張は行わないとする。答弁書の「被告の主張」の第1項)ことは明らかである。また、弁論の全趣旨からしても、被告において、上記反証があったとは認められない。
 すなわち、悪意の受益者である旨の原告の主張に対して被告はこれを争い、縷々(るる)述べる 《主なものを挙げれば、被告は、原告の悪意の主張を否認し、①貸金業法17条、18条書面については消費者に交付し、また、被告はこれら書面について不備があるとの行政処分を受けたことがない事実を挙げ、貸金業法17条1項・18条1項の要件を充たしていると思っていたことはやむを得なかった旨主張する。②また、17条、18条書面の、被告における実際の記載事項を挙げ、貸金業法18条1項2,3号等の契約年月日、貸付金額等については、「施行規則に則り契約番号を記載することで省略した」と主張するとともにそのような記載が機械的になされるようにシステム構築を行っていた旨主張する(答弁書の「被告の主張」の第2項)》 が、反証というためには、過払金を生じる弁済の受領時の、被告にすれば悪意でないとする認識について、そのように認識することがやむを得ないといえる特段の事情の具体的な主張であるべきで、例えば、①については、行政庁の指導がなかったことをもって合法と解すればよいとする旨の被告の上記認識に一致する解釈を示す裁判例が相当数あったとか、上記認識に一致する解釈を示す学説が有力であったというような合理的な根拠があって上記認識を有するに至ったことの主張であることが必要と解すべきである。また、②については、そのように省略したものであっても合法的なものであると信じるについての具体的な根拠、即ち、例えば、その認識と一致する解釈を示す解釈を示す裁判例が相当数あったとか、上記認識に一致する解釈を示す学説が有力であったというような合理的根拠を主張すべきである。
 しかるに、被告の主張は上記のとおりであって、この特段の事情の主張(反証)とみることはできない。このように解することは最高裁判決平成19年7月13日(裁判所ウェブサイト)の趣旨にも沿うものと考えられる。また、他の弁論の全趣旨からしてもこれを充たす主張(反証)があるとは認められない。
 よって、本件取引について、被告は悪意の受益者といわざるを得ない。

(2)被告の悪意はいつからか
 なお、被告は過払金の発生する個々の弁済の受領時において、みなし弁済の要件を欠くとの認識があり、その結果、利息制限法の制限利率を超過する、法律上の原因を欠く弁済との認識を有していたといえるから、本件取引について、被告は過払金が生じる個々の弁済の受領時において悪意であるといえる。

2 争点(2)「悪意の場合の利息の発生時期について」
 金銭消費貸借の借主が利息制限法1条1項所定の制限を超えて利息の支払を継続し、その制限超過部分を元本に充当すると過払金が発生した場合において、貸主が悪意の受益者であるときは、貸主は、民法704条前段の規定に基づき、過払金発生の時から同上前段所定の利息を支払わなければならない(大審院昭和2年(オ)第195号同年12月26日判決・法律新聞2806号15頁参照)。このことは、基本契約において充当合意が認められる場合でも、異なるところはないと解するのが相当である。
 以上から、本件取引について、利息は個々の過払金の発生の日から生じると解するのが相当である《「最高裁判決平成21年9月4日(裁判所ウェブサイト)参照」》といえ、過払利息を別紙「計算書」のとおり個々の過払金の発生する弁済の日の翌日から求める原告の請求は、この点是認できるといえる。

3 争点(3)「本件取引の過払金と返還範囲」
 以上から、原告の過払金は、別紙「計算書」のとおり生じているといえる。
 被告は、返還すべき過払金は経済的合理性の観点から相当分を減額した額になるべきである旨主張するが、これは独自の見解であり首肯できないことは明らかである(そもそも、すでに認定したように、本件取引について被告は悪意の受益者である以上、被告は、利益が現存するしないにかかわらず、受けた利益に利息を付して返還すべきである(民法704条)ところ、法人税を支払ってもその利得を得た事実に変わりはないから、被告の主張が是認できないことは明らかである。)。

☆過払い金・債務整理に関する無料電話相談054-251-2681
司法書士法人 静岡 (旧 三岡司法書士事務所)・葵区二番町
☆猫ブログ「猫のゴン太くん」もよろしくhttp://www.gonta-cat.net/

嬉しいお言葉をいただいた

2010 年 7 月 1 日 木曜日 投稿者:mituoka

 今日、ある裁判の依頼者が来所なさった

 地裁案件だったので、私はご本人に同行し、たしか合計5回ほど一緒に裁判所に通った

 長い裁判だったが先日ようやく結審

 いわゆる一部認容判決で、こちらの請求とはほど遠い結果に終わったので、少し悔いも残る

 しかし、今日、ご本人は私に「本当に助かりました、ありがとうございました」とおっしゃった

 意外にもご本人の顔からは、悔しさなど感じられない

 今日の天気のような、とても晴れやかな表情だ

 「いつも先生に会えるのを楽しみにしていたのに、もう会えないと思うと残念です」

 と言われたときには涙が出そうになった

 人生の大先輩である依頼者は、いつも裁判所のロビーで、事件とは関係ない昔の苦労話を聞かせてくれた

 自分の知らない時代、知らない世界の話を聞くのが大好きな私にとって、それはとても素敵な時間だった

 礼を言わなきゃいけないのはこっちのほうです、と思ったが照れ屋の私は言葉にできなかった

 報酬をしっかりいただいているのに、私が大好きなコーヒーの詰め合わせまでお持ちくださった

 この仕事をしていて良かった

 よし!これからもさらに頑張ろう、と気持ちを新たにしました

 

東静岡駅前にガンダム

2010 年 7 月 1 日 木曜日 投稿者:mituoka

CA3F07220001

 

 先日、車で清水簡裁へ移動している途中、機動戦士ガンダムを発見

 昨年の夏頃に、たしか東京のお台場で展示されていた実物大ガンダム

 静岡に来ることは知っていましたが、
 まだまだ先のことだと思っていたので驚きました

 車中からズームを使っての撮影だったので、キレイな写真ではありませんが、本物はすごい迫力です
 (※当日は事務員が運転していたので、もちろん助手席からの撮影です)

 あまりの神々しさに、手を合わせたくなりました

 ガンダムファンのみなさん、ぜひ静岡へお越しください