コラム
月光仮面の「正体」
2008/04/22
川内 康範(かわうち こうはん)と聞いて多くの若い人は、森進一との「おふくろさん騒動」、耳から毛がたくさん出ているおじいさん、最近亡くなった人、と思い浮かべるでしょう。恥ずかしながら私もそれぐらいの知識しかありませんでした。
しかし、この人はなかなか才能が多彩で作詞にとどまらず、脚本家、政治評論家、作家としても活躍していたそうです。福田赳夫(元首相)の秘書を務め、鈴木善幸(同)、竹下登(同)らのブレーンでもあったというから驚き。
「月光仮面」の作者であったことも最近知りました。私がまだ幼児の頃アニメで放送されていましたが、もともとは昭和30年代前半のテレビ実写ドラマ。60%超の視聴率を誇ったとか。
法華宗の寺に生まれた康範は熱心な法華信者で、彼の人生哲学は仏教精神によって育まれたようです。「月光仮面」も月光菩薩(がっこうぼさつ、と読む)から名を借りたらしい。薬師如来の右脇に侍する菩薩。影ながら「正義そのものである仏」を支える控えめな存在。
月光仮面の額に輝く三日月は「 今は欠けて(不完全)いても、やがて満ちる(完全体)ことを願う 」という理想を表したそうですが、これは悪人への希望・期待、なのでしょう。月光仮面は「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」を理念とし、悪を蹴散らし民衆を救うが自ら裁く(殺す)ことは決してせず警察に引渡し、そして去っていく・・・。たくさんの『必殺技』を持っていた後のヒーローたちとは違います。
このドラマ「月光仮面」は人気絶頂にありながらわずか1年余りでブラウン管から姿を消しました。子供たちが月光仮面を真似てマントをひるがえし高所から飛び降りてケガをする(死亡する)事件が当時頻発したそうですが、それに心を痛めた康範は反対を押し切り、高視聴率を続けていたドラマを早々に打ち切ったそうです。
また、昭和59年のグリコ森永事件の際「子供たちからお菓子を奪わないでほしい」と、康範はマスメディアを通じ犯人に「1億2千万円を差し上げるのでもうやめてくれ」と懇願(犯人はこの申し出を拒否)。
そして記憶に新しい薬害肝炎問題においても、福田現首相が官僚の言い分ばかりを聞いてその代弁者と化し国民が「冷たい」と感じていた時期、康範は首相に面会して被害者側に配慮した対応を要望した。その後の和解に及ぼした影響は少なくないものだったらしい。
森進一との騒動で初めて彼の存在を知り、あの風貌から「単なる変わり者」というイメージしか持たなかったのですが、なかなか首尾一貫した人生を送った人だったようです。今ではよく聞く「正義の味方」という言葉は月光仮面の主題歌において康範が創作したものらしいですが、彼こそが「正義の味方」だったのかもしれません。